特別お題「わたしがブログを書く理由

 

わしがプログを書く理由。

それは遺書である。60手前、妻子あり、資産皆無、借金あり、のどん底生活。

 

みなさんがやってるように、記事に広告を張り付けてお金を儲けてみたい。という気持ちも正直ある。

なにしろこの49年間、お金持ちというものになったことが無い。

あのバブルの頃でさえ貧乏だった。

日本の富は悪しき団塊の世代とやらに勝手に食い荒らされてしまったのだ。

 

わし、59年の人生で3度ほど死にかかっている。

二度あるものは三度ある、とはよく言ったものである。

一回目は28歳の時、コンビニの雇われ店長をしている時、夜勤のバイト逃げられ、70時間近くの連続勤務。自動車の運転中、強烈な胸の痛みに襲われた。

心筋梗塞である。

幸いに事に、若かったのと、症状が軽かったせいで助かった。

 

二度目は東日本大震災

海沿いの郊外での作業中、すさまじい揺れ。

砂浜の水鳥が一斉に飛び立って消えた。

まもなく、堤防に向こうの入り江から、真っ黒い山脈のような波が猛烈なスピードで向かってきた。まさに山のようだった。

空気が低い周波数で不気味に振動している。

「ああ、世界は終わったな...」

わしはその時、本気で思った。

わしの車はたちまち波に飲まれた。逃げ遅れたわしは住宅地の奥ののり面にへばりついて必死に登った。

後ろをみると、全ての家が波に飲ま込まれていく。

 

登り切った先は避難所となった小学校の校庭だった。

それからが地獄。小学校の体育館が避難所となったが、その夜は雪がちらつくほど寒かった。

広い体育館にストーブは四つだけ。寒さでブルブル震えていた。

毛布は20枚にも満たず、子どもと老人が優先して使用した。

次の日の朝食は何も入っていない、米だけのおにぎりと、醤油だけの味付けの、お汁。

それでもありがたかった。

2日目からちょっと豪華になり、おにぎりが味噌にぎりになり、お汁が出汁になった。

 

3日目、流された自分の車を探そうと、瓦礫の中をウロウロしていると、大きなビニールシートで包まれた石みたいな物があった。

疲れたのでちょうど良いと思い、腰掛けようとしたら、地元の消防団が慌てて飛んできた。

それは石ではなくて、人の亡骸だったのだ。

 

ともかく、わしは生き残ってしまった。

 

続いて平成28年、台風による洪水で家が2階まで浸水。

一時間に100ミリ以上の大雨によって、まだ20年以上住宅ローンを残したまま、家は廃墟となった。



わしには何もない。

どうせ死ぬのなら、ウクライナに行って義勇兵になり、戦いたい、と思ったこともある。

でも59歳じゃ、ゼレンスキーだってお断りだよね。

それにわしは心筋梗塞、糖尿病持ちである。ついでにガンになれば、成人病三冠王だよ。王貞治もびっくりだぜ。

 

これは何者にもなれなかった者の遺書である。

でも、たぶんそんな人は世間にもいっぱいいると思う。

 

敗北者たちのレクイエム、それがわし、Rudolf博士のブログである。